心の旅路

第1話

  3.疑問と追求

まぁ、幸いにして、長い間専門的な事をやっていましたから、いろんな事を知っていて、今度は自分で商売を始めるようになったんですね。
そして、自由になったので、仕事の合間で、「何かあるんじゃないか」と、また考えるようになっていった訳です。
私は会社に勤めていた時に、勤め人というのは時間がないし、何にも出来ない。でも、個人で商売やっている人は、時間があって楽でしょうがない――そういうふうな事を思っていたんですよ。
ところが、自分で商売をやってみたら、時間が全然ない訳です。自分がサボったら、それだけマイナスになっていく訳ですからね。
しかし、自分でやっている時には、時間を自分で造る事は出来るんですね。勤めていた頃は、サボったら駄目になるけど、自分の商売だったら少しくらい時間的に自由なんですね。まぁ、これはルーズですけどね。しかしルーズになっても、別にどうという事はない訳です。
そういう時間の中で私は、「何故、わたしは会社を辞めて、何故、自分で仕事をするようになったのだろう? これは何かあるに違いない」と考え始めた訳です。
その辺から、この法印というものが、そしてまた、三二〜三歳の頃の疑問が、何か出て来始めたんですよ。私はその時、
一、人間というものは、一体、何故生まれて来るんだろう?
一、何故、死んでしまうのだろう?
一、何故、こうやって生きているのだろう?
一、何故、私は短気で、喧嘩をして辞めてみたりと、そうなるんだろう?
――何か変な事を考え始めたんですね。当然ですけれど、自分が考えても分かる訳がないですね。
そして、実はこの疑問を解明する為に、いろんな処を歩いた訳です。易者とか、他にもいろんな宗教関係のような処を探して歩いたんですね。
「私は今、このように思っているんですけれども、人間というものが何故生まれ、何故終わっていくのかということが、もしお分かりでしたら、教えて戴きたい」
と、尋ねても、「それはこういう事なんですよ」と話をしてくれる方が、やはり一人もいなかった訳ですよ。
それで、仕方がないので、最後に私の檀家の寺に行って、住職に尋ねたんですね、



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