心の旅路

第1話「人間とは何ぞや」関連の参考講話 短編集                                                      


   ある新興宗教の最高幹部の悩み                更新

(『ある新興宗教での出来事』参照)

宗教という一つの場というものは、これは毎日の自分の家庭、それから仕事を通した中――これが宗教の場なんですよ。
やたらに高くて大きな屋根がある処が宗教の場じゃないんですよ。
みんなで集まって、その中でいろんな物を売らされて、もう、文句を言いながらやってみたりと、そういう事じゃないんですね。
私達は自由なんですよ。
やはり、正しい生活をするということは、先ず自分の毎日の生活の場が、宗教の場だということです。
宗教というものは、別に拝む事でも何でもないですね。
宗教というものは、自然というもの――大自然というものは全て生命がある。
その生命の教えの中に、道徳あり、秩序あり――それを通して、人間が本当に幸せになる為に、教え示したものが宗教という事なんですね。
「何処何処に集まってどうしなさい、こうしなさい」とか、毎日朝早く道場へ来て掃除をして帰った人は、「あの人は信心深い人だ」と、これは信心深いかもしれませんけれども、そういうものは、一寸御門違いなんですね。
大体そういうものを造る自体が、私はおかしいと思いますね。組織・団体みたいな処に入ったら、みんな家を忘れてしまう。――そうでしょう。
一所懸命に、組織の中で活動をやっても、旦那が家に帰って来たら、「家の奴、一体何処に行ったんだ」と文句を言っていたのでは、これじゃ、何にもならないですね。
ところが、そういうのは沢山あるんですよ。それじゃあ、駄目ですね。
そういう処に行っても何もならないですよ。そこで救われたら、今頃みんな、とうに救われている筈でしょう。救われた人はいないですね。
人を集めた人、お金を持って来た人――これは偉くなる。しかし、救われませんね、幾らそんな事をしても――。
気が付いたら、自分のお金、一銭も無くなって、そういう組織が、でっかくなっていたら、おかしな話ですよ。こんな例は沢山ありますよ。
この前、相談にみえた方がいて、この方は、もう沢山の財産を持っていた方ですね。気が付いたら一銭も無くなっていたそうですよ。
「あなた、どうして財産無くなったの?」
「いや、〇〇教に入っていたんですが、寄付をさせられて、気が付いたら、財産がみんな一銭も残らず無くなってしまったんです」
「あなたはね、そんな事は当然ですよ、無くなりますよ」
と言ったんですが、それで今度は、そこの教団の事を悪く言うんですよ。
「あなたね、そうじゃないでしょう、財産を上げたのは誰ですか? あなたが、上げたんでしょう。上げたあなたが悪いんじゃないんですか。それじゃあ、『返してください』って言ってきたらどうですか」
「いや、それが……言ったんですけど、返してくれないんですよ、先生」
――当然ですね。ですから迷ってはいけない。こんな相談の人、多いんですよ。
「あなたね、一銭も無くなったかもしれないけれど、これからやり直ししなさいよ」と、そう言う外に無いですね、これは――。
「気が付いたら一銭も無くなったなんて、そんな上げ方、何でするの?」
「もう上げちゃったからしょうがないんですけど、私はもう気が狂いそうですよ」
――気が狂いそうですって……。もう何だか、私が怒られているみたいで(笑)、「どうしてくれるんですか」と言わんばかりです。(笑)これじゃあ、しょうがない。
ですから、宗教というものの意味の取り違いをしてはいけない。
宗教が悪いんじゃないんですよ。「宗教だ」と言って、看板を掲げている、そういうものに惑わされてはいけないということですね。
自分を救うのは、仏さんでも、神様でもないですね。自分を救うのは自分ですよ。
これは前に、信者が五〇万人位の大きな新興宗教の、ナンバーツーの人に会った事があるんですね。「話をして下さい」と言われて行ったんですよ。
私はその人に、本当の宗教の在り方を話して、
「出来たら、あなたは、この組織をお辞めになった方がいいんじゃないでしょうか」
と、言ったんです。
しかし、そういう組織や団体に入ると、そこを辞めるに辞められない人は沢山いる。この方もそうなんですね。
何故、辞められないんでしょう? ――この方はそこの本山の中に住んでいるんですね。そしてそこの信者の人達は、その人が最高幹部であり、教祖の次に偉い人で、今の教祖の後を継ぐ人だと思っていますからね。
ここの教祖という人は、病気で寝込んでいるのに、ナンバーツーのこの方に、任せようともしないし、何もかも握って離さない。それで、この方は悩んでいたんですね。
私はその方に、
「しょうがないですねぇ、だけど、あなたはね、先ず人間として、自分の何処が悪いかを、よく振り返ってみた事がありますか?」
「はぁ?」
――これは無いですね、偉いんですから……。それで、
「申し訳ないですけどね、あなたの性格はこうなって、欠点はこういう処ですよ。ですから、こうなって、今こうなったんですよ。あなたは、こういう処を直したら如何がですか」
と、言った訳です。そうしたら、その方が急にワンワン泣き出したんですよ。もう七〇歳位の人ですよ。その方は泣きながら、
「私は教団の最高幹部にいます。人に自分の欠点だとか、そんな事言われたことがありません。あなたに言われたのが初めてです……本当に有り難う御座いました」
と言って、また泣いているんですね。
その方は何か求めていらっしゃったんでしょうねぇ……。
それから二年位してから、その方はその教団の中で亡くなられましたけれども……。
しかし、その方は、それだけ分かっただけでも良かったんじゃないかなと、私は自分なりに思っていますけれどもね。
そういう組織の中にいる人は、何か間違っているものを、何とかしないといけないと思っている人が多いんじゃないでしょうか。
ただ、自分が辞めたら、「勧誘して入信させた人に悪いから」とか、「神さんから罰が当たるんじゃないだろうか」とか、みんな思っているんじゃないでしょうか。
「何を言うんだ、罰を当てるなら、当ててみなさいよ」、「わたしは、間違っていた、ご免なさい。また、もう一回やり直そう」と言うぐらいのものを持てないでしょうか。
――これが中々出来ないですね。
家の中をガタガタされたら困るからと、自分でガタガタして大騒ぎしている。
もし、人を不幸にするようなものとか、人の心を動揺させるものは、これは「魔」ですよ。「物の怪」です。そんなものに引っ掛かってはいけませんよ。
これから先の世の中というものは、流言飛語とか、付和雷同という、人が大騒ぎするようなものが、沢山出て来ると思いますよ。そういうものに自分が係わっては大変ですよ。そういう組織みたいなものを造ると、組織にみんな縛られてしまう。
私達は正しいものが分かっていれば、そんなものが出て来ても、「どうぞ、あなた達でおやりください」と、そのぐらいにならなくてはいけないということですね。
それで、こういう一つの中を、コツコツと、毎日正しい心で、自分の心を振り返り、
一、あゝ、私は喋り過ぎたんじゃないかな?
一、見なくてもいいのを見たんじゃないかな?
一、訊かなくてもいい事を。自分から訊いて、何だかがっかりしたんじゃないかな?
――そういう中に全部あるでしょう。そういう事をしっかり心に入れて、そして一生を終わっていく。一生を終わる。
この終わりというのも、自分の持っている時間、持ち時間をフルに精一杯使って、そして終わる。早く死ぬ人も、遅く死ぬ人もいますよ。
そして、こういう話に気が付くという事は、年齢には関係がないんですよ。
そうでしょう……永遠に生き続けているんですから、気が付いた時に、例え九〇歳であっても、それから自分が終わるまでの何日間・何時間かの間でも、何分かの間でもいい、「あゝ、わたしは間違っていた、こういう事しなければいけなかったんだ」と、その時に分かっただけでも良いんですよ。
ところが、中々瞬間的には分からないんですよ。ですから、元気なうちに少しでも、こういう事をやっていなければいけないということです。 1989年11月
                                                 
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