心の旅路

第1話                                  2007.5.13更新

  18,生ける亡者――陋習と釈迦がの残した言葉



そうすると、私達が本当に正しい事をし、正しく出て来た処に還った時には、これはどうなりますか? ――沢山の人を連れて行けますね。
みんな、「自分の家に亡者はいない。他所の家の事だ」とばっかり思っていますよね。――とんでもない、自分の家の一族の中にも、亡者は一杯いる。他人の事じゃない、自分の事ですね。沢山の人(自分の肉体の系列の人)を連れて帰れる訳ですよ。
昔から、「一人出家したら、九族救われる」という話があるでしょう。あれは何か諺みたいですけれど、本当の事なんですね。(注・ここでいう出家とは、出家しさえすれば、救われるという事ではなく、仏の教えに帰依し、毎日の生活の中で、反省をしながら、正しい思念と行為を実行している人の事を言う)。
そうしたら、お墓というものは、これ(自分の肉体)が終わったら、焼き場に行って燃した後の、その灰の捨て処――。法律で、そういう処を決められているということですね。捨てる訳です。あれは我々の残骸の捨て場所ですね。
ですから皆さんもね、死んだらお墓に行っちゃ駄目ですよ。いや本当に――。
お墓に行ってご覧なさい。墓石から手を出していたり、こんなふうに石に掴まってるのが一杯いますよ。
それを知らないから、お線香を上げて、花を上げて、「何々ちゃん」なんて言っているけど、後ろにこんなのがおぶさっているのが分からない。本当に観えてご覧なさい。お墓になんか行きたくなくなってしまうから――。
しかし、そんな事をしているんでは、これはしょうがないですね。帰る処を間違えてしまってね。
お墓や仏壇で、お経を上げても、死んだ人には分かりませんよ。
戒名だってそうでしょう。高いお金を払って、戒名付けて貰っても、誰だか分からないですよ。もう死んだ後で付けて貰っても本人は分からないですよ。
私は亡くなった人に、戒名の事を聞いてみることがあるんですが、
「これ、誰の名前なの?」
「さぁ……知りません」
と、みんな言いますよ。
皆さんもね、死ぬ前に自分の名前、書いておきなさいよ。(笑)
私は自分の名前をちゃんと書いて、机の上に貼ってあるんですよ。私が終わったら、こういうふうに書いてくださいと、朽木丈人の霊 と書いてある。(笑)それでいゝじゃないの――。何処に行っても分かりますね。
それだけじゃ、お坊さんに悪いから、「戒名はこのように書いてください」と頼んで、お金を少し包めばいゝんじゃない。
沢山のお金を出して、〇〇院〇〇居士とか、何でそんなのを付けるんでしょうか?誰がそんな習慣を造ったの? ――お釈迦さん、そんな事は一切仰っていませんよ。
お釈迦さんの話はお経で伝わった、「そのお経で伝えなさい」、「このお経を読みなさい」とか、「お経を読んだらご利益がありますよ」とか、そんな事、一切仰ってないですよ。
「大きなお寺を造って、大きな殿堂を造って、神さんを祀って、みんな集めて拝みなさい」とか、そんな事は一切仰ってませんよ。――そうですね。
お釈迦さんは、
「みんな、其々の家庭というのがあるでしょう。その中には、親子がいる。夫婦だけの人もいる。嫁・姑もいる。
その中で、喧嘩をせずに、調和された毎日の生活が出来るようにするんですよ。
人間というものは生まれ変わりをするんですよ。
そして終わったらこういうふうになるんですよ。
心というのは、執着を残してはいけないんですよ。
人には、幸せを提供出来る自分になるんですよ」
――そういう話をしていらっしゃったのです。
それを、何時何処ら辺で間違えたのか、途中でナラジュルナ(インド)だなんて人が出て来て、お釈迦さんの教えを分からないように書き変えた訳ですよ。
それが中国に渡って、分からなくなってしまったんですね。
そして今度は、日本語に訳されて、そのまま持って来たから、尚分からなくなったんですね。
分からないから、拝めば良い、お経を上げれば良いという事になった訳です。
私達の毎日の生活――人間、何故生まれて来たのか、何処に行くのか……。
皆さん、誰でも帰る処があるんですよ。素晴らしい処があるんですよ。本当は、今一寸こう、行って見てくるのが一番良いんですけど、中々そうはいかないですね。
ところがね、行けないからいゝんですよ。先に行って見て来たんでは、面白くなくなってしまいますよ。楽しみですよね、死ぬまでの楽しみ……。(笑)
どういう処かな……と、みんなそうでしょう。学校の時、修学旅行だって行くまでが楽しみだ。行ったら、「なぁーんだ、こんな処か、疲れちゃったぁー」(笑)なんてね。みんなそうでしょう。みんなそう言う。
老人会だって、行くまでが楽しみだ。行ったら、「いやぁ、行ってみたら腰が痛くてしょうがないよ」って(笑)、こうなってきますよね。行くまでなんですよ。
楽しみってのは良いですね……。
ですから、腰が痛くなるような処を楽しんではいけない。本当に明るい、私達の本当の世界――そういうものを心に入れておいてください。決して、自分の事を振り返ってはいけない。執着を残してはいけない。
私達は生まれたら、その中で自分の欠点というものがありますね、欠点――。これを修正していく事なんですよ。
その為には、反省をするんです。――たったこれだけですよ。簡単ですよ。ただ、あんまり簡単で、真面目な話だから、中々聴いてくれないですね。
例えば、今ここで、ズーッとカーテンを閉めて暗くしてね、それで燭台を持ってきて、蝋燭を灯して、私が黒い洋服を着て白いカラーをつけ、オルガンか何かを弾いているところに、スーッと入って来てご覧なさい。感じが全然違ってきますから……。
「こういう事ですよ」と言われても、一回外に出て貰って、ちゃんとそういう場を造って入って来たら、全然変わってしまう。何か有り難くなってくる。
人間というものは、そういう雰囲気に呑まれてしまう、分からなくなってしまうものを持っている訳ですよ。ですから、お宮さんとかの神殿に行ったら、何か有り難くなるでしょう。――それは自分が、心で造っている訳ですね。
やはり五官で捉えるもの――自分の眼・耳・鼻・口・身体――そういうもので捉えるもの、これは確かに捉えていますよ。捉えているけれども、今度はそれに振り回されてはいけない。
自分の眼に映っているいろんなもの、こういうものを通して見たものが、実は今言ったように、あの世に帰る自分が、五官というものを通して、いろんなものを吸収している訳ですよ。
そしてそれによって、どのようにしたら良いか、それによって、自分がどのように成長していくか、魂としてどれだけ成長していくか――その為に、五官の世の中がある訳ですよ。
ところが、この世に出て来てしまうと、これ(自分の体)が私だと思ってしまう。私もそう思いましたね、「私はこういう者で御座います」って言いますよね。
しかし、こういう者というのは、「私は朽木です」というように、これは車のナンバー、外側のナンバーと一緒なんです。ポンコツになったら、もうそれで終わり。
ところが、人間はそのナンバーに執着を持つ訳ですよ。こんなものは、何処かの時点でまた無くなってしまうし、何処から出て来たか分からない。
だから、戸籍というのがある訳ですよ。日本に戸籍が出来る前の事、考えてご覧なさい。まぁ、侍だったら、何の何々とあるけれども、そうじゃない人は、ただ太郎兵衛、次郎兵衛だったでしょう。それじゃ、何処から名字が出て来たの? ――そうですね。
それを考えたら、そういうものに執着してはいけないということですよ。

――次回に続く
次回『19、間違った里帰り――仏壇とお墓の亡者』の更新予定は、5月の第3週です。
どうぞお楽しみに。

                                                 
続きのページはPDFファイルで作成されています。
PDFファイルを見るためには、アドビリーダーというソフトが必要です。
アドビリーダーは無料で配布されています。

下記ボタンをクリックするとダウンロードができます。





























当サイトの画像及びコンテンツの無断使用を禁じます。